東日本大震災から時を止めた大野駅を訪れる
今日で震災から10年。震災のことを記事にするのは抵抗がありました
今日は東日本大震災に関する記事をアップします。
— はら@180日後に10万稼ぐガキ (@hara_blog) 2021年3月11日
被災もしていない自分がこういう記事で煽るのは果たして良いことなのか考えましたが、この話題を意識しながら無視する方が罪深い気がしたのでアップします。#東日本大震災から10年
こう考えたので記事にします。細心の注意を払って事実確認を行いましたが、万が一ミスがあればツイッターでご指摘ください。
大野駅は福島第一原子力発電所の最寄駅で、2011年3月11日に発生した東日本大震災以来、9年に渡って営業休止を余儀なくされた駅です。2020年3月、ついに営業が再開し常磐線が全線で運転再開を果たしました。
とは言っても、筆者が訪れた大野駅は駅のまわりと一部の道路しか立ち入れず、目の前にある家も、商店も、公園も全て立ち入り禁止。震災発生時のあの姿から時は止まったままです。
細かい話は後半にしてまずは大野駅周辺の写真をどうぞ
看板をのこして葉っぱで覆われた読売新聞の販売所。
地震の衝撃によるものなのか、8年という時の重みに耐えかねた結果なのか。
地震がおこった14:46を境に止まったままの時計台。
駅前のロータリーも立ち入りは禁止されている。
少なくとも8年は働きをはたしていない、寂しげな看板に見送られて
歩いたのは駅前のなにもない広場と駅につながる1本の道だけ。
まだ駅が開いただけで周辺には立ち入ることすらできませんでした。
下の図は現在の避難指示区域の図です。
うすい緑は避難指示が解除された所、ピンクはまだ人が立ち入れない所。大熊町にある大野駅周辺もまだ避難指示が解除されていません。大野駅だけが特定復興再生拠点地域という形で先に人が入れるようになっています。ちなみにDASH村も浪江町にありました。
つまり大野駅の復活はまだ形だけみたいな所があるわけです(降りてもどこにも行けない)。
しかし、形だけとはいえ常磐線が全線復旧したという事実は復興のシンボルとして、大きな意義を持つことだと筆者は思います。
震災前はローカル駅だった大野駅には、現在1日3往復の特急列車も停まるので東京からは3時間、仙台から1時間半で乗り換えなしで来られます。ほとんど人の来ない駅に特急が停車するのは異例ですがこれも復興の一環として受け入れられるべき取り組みです。
ちなみに筆者は東京の幼稚園で地震を体験しました。特に被災をすることはありませんでしたが、揺れている最中のことは覚えています。
普段、震災関連のニュースを観ていても報じられるのは津波で流された景色や復興の進むようすで、ある動画を観るまでは大野駅の存在すら知りませんでした。その動画を観た時は、かなり衝撃でした。
なのでその衝撃をこのブログにほんの一部ですが残しておければな〜と思ってます。
教訓じみたことを言うとするならば
同じ日本にまだ人の立ち入れぬ場所がある、この事実を365日のうちたった1日でも思い出すことに意味がある。
筆者は節目とされる3月11日にそう意識します。
もし興味があるようでしたら大野駅、その先にある被災地や「東日本大震災・原子力災害伝承館」などにも足を運んでみてください。
筆者が大野駅を訪れるきっかけとなった動画です↓
【帰還困難区域】原発事故の町に鉄道が帰ってきた!沿線の実態を見に行く 3/16-101
かなり詳細に歩いているので、飛ばし飛ばしで観ることをオススメします。
ではまた。